堺区戎島町「石銭場跡(こくせんばあと)」

更新日:2023年04月03日

江戸時代に入津料を徴収した石銭場

上下水道局が所管する堺区戎島町の土地は、江戸時代、船舶および諸問屋の取扱い貨物の石数に応じて入津料を徴収した石銭場でした。

堺の歴史文化を感じていただけるように、案内板を設置しています。

小さいお社の隣に、石銭場跡と水天宮の案内板が設置されている写真

石銭場とは

石銭場は、江戸時代に、船舶および諸問屋の取扱い貨物の石数に応じて入津料を徴収した所で、石銭は港の浚渫や石堤の築造費に使われていました。

始まりは延宝8年(1680年)といわれ、場所は幾度も移りましたが、北湾戸完成後はこの地にありました。記録によって廻船、川行渡船、沖船との連絡をした茶船等堺港に出入りした船舶や、諸問屋(俵物・薪炭・塩・干鰯・材木・唐物・青物など)の動向を偲ぶことができます。

水天宮とは

水天宮は、水難よけ、海上安全、航海安全の信仰を集めていました。安政6年(1859年)この地に創立され、当時は本殿・拝殿を有し、井戸も船舶用の給水井として船乗りから珍重されていました。安政の大地震や外国船の来航に備えて台場が堺港の北と南に築かれた頃のことです。

明治28年(1895年)以降は井戸と小丘と榎の古木をとどめるのみとなりましたが、平成14年(2002年)11月、港湾の安全と繁栄を祈って再建されました。

位置

堺市堺区戎島町5-34

石銭場跡の位置が吹き出しで示された戎島町付近の地図

この記事に関するお問い合わせ先

堺市上下水道局 下水道管理課
〒591-8505 堺市北区百舌鳥梅北町1丁39番地2
電話 072-250-9116 ファックス 072-250-5977
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