琵琶湖をスタートした水の旅
1.琵琶湖
琵琶湖は、滋賀県の中央部にある日本最大の湖です。湖面積674平方キロメートル、堺市面積の約5倍に相当します。その貯水量は275億立方メートルで、これは、堺市民85万人の約275年間の生活用水の量に匹敵します。
琵琶湖に直接流入している河川は、1級河川だけでも120本もあり、一方、琵琶湖から流出する河川は、瀬田川1本だけです。このため、大雨が降るとその雨水が同時に琵琶湖に流れ込み、また昔は瀬田川の川幅が狭く、川床も浅かったことから、湖水位が上昇し、湖岸住民は浸水災害に悩まされてきました。
このため、明治以降、国の直轄事業として3度にわたる大規模な瀬田川のしゅんせつ(川ざらえ)工事が行なわれました。昭和47年からは、国や滋賀県、そして大阪府などの琵琶湖・淀川の水を利用する水道事業団体が参画して、琵琶湖の恵まれた自然環境の保全と利水事業や治水事業を一体的に推進する「琵琶湖総合開発事業」が行なわれています。このうちの琵琶湖周辺を洪水から守る事業や放流量を調整するための瀬田川洗堰(あらいぜき)の改修などを実施する「琵琶湖開発事業」が平成3年度末に完了したことによって、本市への水の卸元・大阪府営水道(現・大阪広域水道企業団、以下企業団)は毎秒15.753立方メートルの水利権を新たに確保することができました。また、保全・治水・利水対策を統合的に実施してきた「琵琶湖総合開発事業」も平成8年で完了しました。
このように琵琶湖は、近畿1,400万人の各種用水の水源として、その役割はますます重要になっています。
2.鳥居川水位観測所
鳥居川水位観測所は、琵琶湖の水位(水面の高さ)を観測するため、明治7年に瀬田の唐橋のそばに設けられました。しかし、平成4年4月から、琵琶湖水位は湖岸5か所での観測水位の平均値とすることになったため、この観測所は118年間にわたったその役目を終えています。
3.瀬田川洗堰(あらいぜき)
瀬田川洗堰は、瀬田川に沿って琵琶湖の出口から約5キロメートル下ってきた所に設置されています。幅10.8メートル高さ6.114メートルのゲート(門扉)が10門ある堰で、昭和36年に造られました。「あらいぜき」とは、水がゲートの上から滝のように勢いよく流れ落ちることから名付けられたものです。
瀬田川からの放流量は、多過ぎても少な過ぎても、琵琶湖の水位や下流の宇治川、淀川の水の流れに影響します。そこで、琵琶湖水位や琵琶湖流域の雨量のほか、淀川の流量などをみて、ゲート操作によって放流量が調節されています。
4.宇治川
瀬田川は、信楽川、大石川を集め京都府に入ると宇治川と名を変えます。宇治川沿岸のすぐれた風光は古くから有名で、平安時代には貴族の別荘地となりました。いまも南岸に残る平等院は、藤原頼通の別荘であったことで有名です。
一方、豊かな水量は天ヶ瀬ダムによって流量調節が行なわれ、京都市南端を抜けて、八幡市付近で桂川、木津川と合流して淀川となります。
5.桂川
丹波高原の水を集める大堰(おおい)川が亀岡の保津橋から保津川と名を変え嵐山にいたります。渡月橋を過ぎると桂川となり、淀川に合流します。
流域には乙訓古墳や長岡京跡、条里制の地割の遺跡などがあり古くから開拓が行なわれていたことがわかります。
6.木津川
奈良や京都の都づくりに木材輸送の大動脈となり、「木津」の集落を生んだことから木津川のよび名が一般的になったといわれています。北は伊賀盆地、南は室生赤目青山国定公園という広大な上流域の水を集め、京都盆地の南端の平地に流れでてきます。
この川の上流には、高山ダム、青蓮寺ダム、室生ダムといった治水と利水を兼ねた多目的ダムがあります。
7.磯島取水場(企業団)
枚方市にある磯島取水場の取水口から淀川の水を取りこみます。ここから川の水が水道水に生まれ変わる旅が始まります。
取水場に入った水は、沈砂池を通り、荒砂やゴミを取り除いた後、導水パイプによって約4キロメートル離れた標高差30メートルの高台にある、村野浄水場に送られます。
8.村野浄水場(企業団)
磯島取水場から送られてきた水は、村野浄水場で安全で衛生的な水に浄化されます。ここには、都市の用地を有効に利用するため、地上31メートル、地下15メートルの建築物からなる世界でも珍しい立体式浄水場があります。
浄水場では、薬品沈でん、急速ろ過、塩素消毒等の処理を行い、安心して飲める水をつくり上げます。村野浄水場では現在、1日に1,797,000立方メートルの水をつくり出す能力があります。これは、甲子園球場をマスにして量ると、3杯以上もの量になります。
でき上がった水道水は、いったん浄水池に貯えられた後、各市町村へポンプで圧送されます。
堺市へは、大阪府の東部を南下する送水管を通じて、浅香山配水場と家原寺配水場、小平尾配水場に、泉北浄水池(企業団)経由で岩室配水場と晴美台配水場、陶器配水場、桃山台配水場に送られます。
企業団には、この村野浄水場のほか、三島、庭窪にも浄水場がありますが、現在、堺市へ送られる水の大部分が村野浄水場から送られてきます。
企業団では、平成10年7月からすべての水道用水を高度浄水処理して供給しています。堺市は、水源の100パーセントを企業団から受水し、お客さまに、この高度浄水処理水をお届けしています。
高度浄水処理は、オゾンを使用して浄化処理を行うなどにより、それまでの浄化処理では取り除きにくかったカビ臭などの除去能力が大幅に改善しています。その結果、お客さまに、安全でよりおいしく、安心して飲んでいただける水道水をお届けすることができるようになりました。
9.小平尾配水場
平成2年に供用開始。堺市内で1番新しい配水場です。
企業団からの水を受水し、ポンプで菅生配水池やさつき野配水池に送水しています。
参考データ
配水池容量5,000立方メートル
(5,000立方メートル×1池)
10.浅香山配水場
歴史ある堺市の水道の発祥地として、明治43年の通水以来大和川から取水を行い、浄水処理を行ってきました。しかし、昭和53年に水質の悪化により取水を停止しました。
現在では、堺市で必要としている水道水のすべてを企業団から受水し、7か所の配水場から市内全域へ配水しています。
浅香山配水場からも、企業団から受水した水をご家庭や工場に送っています。
また、平成23年度に高架配水池築造工事を行いました。
詳細は関連リンクの「自然流下方式の配水で環境に優しく、安定して水を供給します!」をご確認ください。
参考データ
配水池容量24,000立方メートル
(4,500立方メートル×2池、15,000立方メートル×1池)
関連リンク
自然流下方式の配水で環境に優しく、安定して水を供給します! ~浅香山配水場~
浅香山配水場のツツジ
昭和12年ごろから浅香山配水場の沈でん池の堤防強化と緑化のため、約700株、2,300本の平戸ツツジが植えられました。今では、樹齢70年を超えるまでに成長し、毎年みごとな花を咲かせています。
昭和31年からは、例年ゴールデンウィーク頃になる満開の時期を考慮しながら公開期間を決定し、一般の方にもツツジが鑑賞できるように開放しています。今では毎年数万人の方々が訪れています。「大阪みどりの百選」にも選ばれ、まさに市民に親しまれる浄水場といえるでしょう。
11.岩室配水場
昭和41年に供用開始。地盤高115メートル地点にあり、配水場としては堺市で一番高いところに位置します。
3つの配水池のうち2つの配水池内を厚さ2ミリメートルのステンレス鋼板で耐震補強しています。
参考データ
配水池10,500立方メートル
(3,500立方メートル×3池)
12.晴美台配水場
昭和63年に供用開始。すぐ東側に岩室配水場があります。
参考データ
配水池容量50,700立方メートル
(7,500立方メートル×2池、18,600立方メートル×1池、17,100立方メートル×1池)
13.陶器配水場
昭和39年に供用開始されました。
なお、平成元年に配水池の上部を運動施設に改修し、野球場・テニスコートとして開放しています。
施設概要
配水池容量28,000立方メートル
(8,000立方メートル×2池、12,000立方メートル×1池)
14.桃山台配水場
昭和50年に供用開始。
土地の有効利用として、西原公園の地下に配水池があります。
参考データ
配水池容量68,500立方メートル
(22,800立方メートル、22,500立方メートル、
16,700立方メートル×1池ずつ:計62,000立方メートル
受水池3,250立方メートル×2池:計6,500立方メートル
平成18年度に企業団からの水を受水する際の余剰エネルギーを利用して発電する小水力発電設備を設置しました。
詳細は関連リンクの「小水力発電でエネルギーの有効利用~桃山台配水場にて~」をご確認ください。
関連リンク
15.家原寺配水場
昭和28年に供用開始。
平成8年度には、場内に建設された「配水管理センター」が稼動開始し、市内一円にある水道施設を24時間体制で集中監視制御しています。
参考データ
配水池29,000立方メートル
(8,000立方メートル×2池、13,000立方メートル×1池)
16.配水管理センター
ここでは、水運用管理の合理化を図るため、各配水場及び制御所などの施設を集中監視制御しており、また水運用を効率的に行なうために、市内の水運用を集中的に管理しています。
すいちゃん下敷き
上下水道局では、堺市の水道水ができるまでの流れを説明した下敷きを作成しています。
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更新日:2023年04月03日